世界一おいしい玄米を炊く会では、土鍋のなかの玄米に向き合う時間となりました。水の中でたゆる玄米を、やさしい手つきで水流をつくり、泳がせたり。火をあて、湯の中の対流で踊り出す一粒ひとつぶに見入ったり。ほこほこと立つ湯気の香りに、鼻孔をふくらませ、待つ時間の豊かなこと。
米粒が炊けることと、地球が誕生することって、同じ法則なんじゃないかと、壮大な気分に。その場のエネルギーいっぱいの玄米を、それはそれはおいしくいただきました。
参加の方からは、「沁みいりました。」「風邪っぽかったのが楽になりました。」「あんまりごはんを食べない子が、すごく食べました。」など、うれしい声があがっていました。
わたしは、もう鍋がどうのとか。水加減が大事とか。米はこだわってとか。そんな次元じゃないんだなって、感じました。
火をおこし、人が集まり、作る。語りながら、笑いながら、考えながら、それを待つ。それだけで、ごちそうだ。おいしいに決まってるって。
でも、わからなかったな。子育て中に感じてみたかったな。玄米を炊く会は、また11月26日に予定しています。料理家でセラピストのわたしの友人、きむらかよちゃんが伝授してくれます。私は玄米に合うおかずと味噌汁を担当します。
いな暮らしは、地元稲城の野菜やパンをガレージに並べた青空市からスタートしています。その後、パン屋さんの工房を間借りして、その時のお客さんから、いまの場所を知ることになったのです。
最初から今のようなごはんを出せていたわけではありませんでした。わたしの力量がなかったこともあるのですが「いな暮らしのごはん‐1」でも書いたように、おむすびなら、家族に20年以上握り続けていたので、できることとして、まずはおむすびとお味噌汁を一緒に出しました。
飲食の仕事の経験もなく、いわゆる街のカフェを目指していたわけでもなかったので、そこに、店はこうするべきっていう常識は、全然持ち合わせていなかったのです。だから、調理器具も家庭のものだし、プロ仕様の物なんてどう使っていいかもわからない。でもそれでよかったんだと、今は思ってます。わたしには、目指したいごはんが明確にありました。それは、子どもを育てながら感じたことが、大きく影響しています。
わが子のアレルギーに対応する、食べることに向き合うなかで、牛乳を豆乳に換えたり、たまご抜きで作ってみると、できるし、むしろおいしいし、シンプルでいいんです。
給食で食べられないものがある日は、同じものを材料を代えて作り、持たせていました。だけど人と違うことって勇気がいります。同じ方が安心するものです。私の心配をよそに、娘のクラスメイトは自然に受け入れてくれていました。時には、「ヨウちゃんのおかずの方がいいなぁ」なんて言ってくれる子がいたとか。子どもたちの無邪気さ、やさしさに救われました。
お友だちと遊びに行き来をする中でも、食べられるおやつをもたせると、親御さんからも、「おせんべは大丈夫なんですね。」なんて声をかけてもらい、次回は用意してくださったり、人のあたたかさに助けてもらいました。
6年前の調布の小学校の学校給食で起きた、アレルギーによる死亡事故を知った時、胸がぎゅーっと鷲づかみされたように、痛くて苦しくなりました。その子が同じ女の子で、除去食を作ってもらっていて、たぶんよく食べる子だったのでしょう、すごく娘と重なり、その時の教室の状況が手に取るようにわかるのです。おかわりをした分は、みんなが食べるおかずで、除去食ではなかった。だれか人のせいにできることではないと思ったのです。
食べられないことを、別にする発想から、食べられないなら、そこに合わせていく発想があればなぁと。違いを別にしていく仕組って、他にもあるけど、当事者からしたら切ないものです。どうにかならないかなぁと。
仕組みを変えていくのは、ひとりでは難しいけれど、だれでも来ていいよっていう場があって、みんなで同じものが食べられるごはんがやおやつがあれば、小さく自分にもできることがもある。だったら自分がやったらいいと、いまにいたっています。
食べることって喜びだから、からだをつくっていくことだから、すごく大事。
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