休み中に思うこと①

長かった梅雨明けとともに8月に入り、1カ月間の夏休みを過ごしています。

コロナという正体の見えないウィルスのために、店の形態も変えながら続けてきましたが、翻弄された感があり、


身体と店を整えるためにしっかりと休息を取る必要があると、一緒に店を営む娘と意見が一致したからです。

この先の言い知れぬ不安感、それはコロナだけではないのですが、
ひたひたと感じます。
日本各地で起きている自然災害についてもですが、
自分たちの暮らす場でも、何がどう起きてもおかしくない感じが、
昨年秋の多摩川が一部決壊したこともあり、今でも怖さとともに残っています。

ではどうしたらいいのかは、答えはないようなものですが、
何かあった時にはせめて身軽でいられるようにしようと、ますます必要なものとそうでないもの、事柄もそうですが、選択していく時が来ているのかもしれません。

休みに入る直前に、小さな木箱の中だけの蚤の市をしてみました。
場を整えて行く中で、今は使わなくなってしまった物がまとまったため、必要な方に使っていただけたらの気持ちでやってみました。

ちょこちょこと持っていってくださる方々がいらして、まだ活躍の場があることをうれしく思いました。

箱と自分の選択の気持ちさえあればできて、
小さくやるからすぐに実現でき、
気持ちが軽やかになりました。

もしこれを大きくやろうとしたら、
物をたくさん集めようとしたり、
他の出店者さんを探したり、
多くの方に来てもらうためにチラシを作ったり、告知を何度もしたり、
楽しんでできればいいのですが、
無理にやらないとならないことが多くなり、
気持ちはなかなか軽やかには行きません。

イベントやワークショップをコロナが起きる前のようにすることが
難しい現状もありますが、
私たちは事をもっと小さくやって行く方がしっくり来るように感じています。

いろいろなイベントを世の中にある雛型に合わせてやってきた経緯もあってのことですが、
そもそも雛型なんてないのだし、
どうやったっていいのでしょうが、
無理に合わせていたからか、息苦しさもあったように思います。

自分が苦しいと、自分の身体も何かしら無理をさせてしまうし、
下手すると周りの人にもその良くない感情で傷つけてしまったりも、実際にありました。

心穏やかに保ちつつ、この場がいつまでも続くとは限らないと片隅に置き、
やりたいと思ったことは、小さくシンプルにやっていこうと話し合ったのは、
ちょうど1カ月前の7月の初めでした。

その間にも、世の中はコロナに翻弄され続けています。
日々発表される感染者数に溜め息をつかされ、
マスク一つを取っても、ここでは必要でもこんな場面では外してよいだのと、
事細かな指示に、奇妙なことになっているなと感じざるを得ません。

自分で考え、自分の心地良さを知り、判断していくことを大事にしていきたいと思うのです。

今朝は庭の草むしりを涼しいうちにしてしまうつもりです。

草の青い香り、漂う風にのってくる民家の匂い、
そんな今しか感じられない季節を、直に味わいながらしたいので、
マスクはせず、蚊取り線香を炊きながら。

海や山に実家に、思うように出向いて行けない夏ですが、
身近にある楽しみや喜びが、ひとつでも多くもたらされますように。

また、頭の中の思いが溢れて来たら綴ってみたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。

店主 鈴木ともみ

- 更新日:2020年08月8日(土)